ふれあいどおり のこと から
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防風林に植えたのは“松”でしたが、殆どが枯れました
 昭和21年春に入植が開始され、その4月には幹線道路沿いの防風林用地に、第1回の松の植樹がされています。その後も植え続けられ、やがて“全面松林”の防風林になりました。
 ただ全国的な「松食い虫」の猛威は上志津原とて例外ではなく、次々に枯れていきました。

(松枯れの原因は松食い虫?= 松食い虫が食害するのは、その前に「松の線虫」に侵され、樹勢が衰えて松ヤ二が出なくなった松だけですから、真犯人はこの線虫のようです)

下の写真は、同じ所から同じ方向を撮った写真です。左右の写真を見比べてみてください。自治会館は「青年舘」から「はらトピア」になりましたが、それ以上に驚かされるのが周りの樹の様変わりでしょう。桜が立派な成木になって見事な花を咲かせるようになりましたが、平成4年まで残っていた松は全て枯れてしまいました。
交差点から自治会館に向けて
平成4年9月13日撮影 平成18年4月2日撮影

(丁度枯れている樹がありますが)小森商店から道路(市道)を見通して
  
平成4年9月13日撮影 平成18年4月2日撮影


 柄澤勝雄さん(故人)のアルバムとは?(平成4年の写真はこのアルバムから借用しました)
 アルバムのタイトルは「上志津原街並記録写真」。驚いたことにそのアルバムはこうした目的のために作られたものでした。「今のうちに写真に収めておけば、将来必ず役に立つ」と、町内をくまなく撮ってアルバムにし、平成6年12月に町会に寄付されたそうです。
 そのアルバムは50cm×60cmもある大きなもので、殆どが数枚の写真を繋ぎ合わせたパノラマ写真に加工されていました。写真とは別に街並の地図が添えられ、その上に扇状の書き込みがありました。その意味は、扇の要に立ってこの方向でこの範囲を撮影しました、という説明書きでした。大変な労力だったと思います。
 寄付されてからまだ16年余、ここが市街化調整区域だったという事もあって「ふれあいどおり」の松以外はまだ殆ど変わっていません。しかし第2次に続いて第3次宅地造成ラッシュがあるかも知れません。数十年後には貴重な証拠写真になるでしょう。
(尚、「上志津原街並記録写真」は、大きな風呂敷に包まれて「はらトピア」に保管されています。重要な史料だと解らぬ人達が、勝手に廃棄することの無い様祈ります)

残っている松は、この町を見続けてきた歴史の証人です
今残っている松(殆どが赤松)は、風雪・虫害に耐えること60数年、その姿には風格を感じます
60年前、この松を植えられた入植者の方から、こんな手記が寄せられた事があります。『黒松は雄松、赤松は雌松と言われているが、生き残っているのは赤松ばかり、矢張り女は強い』・・・と
松上の手記は「ふれあいどおり今昔」という欄に「上志津原たより」に載せられていたものです。(投稿者:長谷川定房さん)

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