こんな町です「上志津原」 トップページ
リニューアル:2006年4月
改定:2012年3月1日

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こんな町です「上志津原」は、この町を紹介するページですが、  1)この町の概要  2)この町の生い立ち(年表)  3)「ふれあいどおり」のこと  4)ケーブルテレビの特集番組へ  の4部門で構成されています。

 1)この町の概要
「上志津原」はこんな町です
上志津原の航空写真
…インターネットから借用しました。… 
写真は上志津原が600世帯の頃と思われますが、
現在は900世帯を超えています。
◆上志津原は八千代市と千葉市に接する、佐倉市の南西の端です。京成電鉄の、志津駅からは南に2.4`・勝田台駅からは南東方向2.1`にあります。

◆戦後、軍用地の開拓から始まった町で、最初は純農村地帯でした。あれから60数年、北部を中心に宅地化が進んでいます。

◆南部は整然と区画された畑が目立ちますが、開拓者(入植者)の普請によって造られた、農道によって区切られた畑です。

◆農道に囲まれた長方形は、100間×60間(180m×108m)、面積は2町歩(2ha)、当時入植者1世帯に割り当てられた面積でした。

◆町の中央をカギの字に樹林帯があります。元は防風林だった所で、現在は「上志津原ふれあいどおり」という、遊歩道になっています。


町の中心 上志津原十字路付近
路線バスの停留所から撮りました。(京成志津⇔上志津原⇔JR四街道)
正面が十字路。右手の林は「ふれあいどおり」の樹木で、その向こうには自治会館「はらトピア」が見えます。
高速バスの停留場から撮りました。(ユーカリが丘⇔上志津原⇔東京駅八重洲口
高速バスの路線です。停留所はコンビニ(7-11)の一角(駐車場)にあります。



 中に入ると純農村が残っています・・・広大な畑と、生垣や庭に囲まれた大きな屋敷が点在します。
 冬…イタリアンライグラス畑

 春…クリムゾンクローバー(別名ストロベリーキャンドル)畑


南部には「たんぼ」も「川」もあります ・・・川(勝田川)は千葉市との市境で、田圃は上志津の飛び地です。
「田圃」 たんぼの向こうが上志津原で、手前が勝田川です。…共にみ春野団地から 「勝田川」にはカモやスッポンがいます


宅地化の波が押し寄せています
 戸建て住宅はもちろん (さくらヶ丘団地)  最近は集合住宅も増えてきました (パッシィ オーネ)

 平成23年1月現在、工事中の物件もありました (ゆたか苑前 61世帯)



上志津原は梨の産地です
梨花爛漫 (4/13) 防虫・防風ネット (6/17) 収穫間近 (8/22)



それなりに施設もあります
特別養護老人ホーム 「ゆたか苑」 病院 「志津南クリニック」 佐倉市水道部 「志津浄水場」

この他にもコンビニが2店出店され、生活するにも利便性が高まりました。 この町は駅や繁華街に遠く、「陸の孤島」などと揶揄されていましたが、そうした声はいつの間にか聞かなくなりました。
 ミニストップ  セブンイレブン



他の項目は別記にしました。詳しくは項目又は写真をクリックしてください。
 2)この町の生い立ち《年表》
 上志津原は太平洋戦争が終結するまで旧陸軍演習地の一角でした。戦争が終わって「軍用地の農地化」という国策によって、全国から集まった入植者による開拓の町です。 入植者は元軍人など農業未経験が多く、血のにじむ開墾から始まりました。
 3)「ふれあいどおり」の事
 苦難の歴史がありましたが、入植された方々の「大らかさ」「素朴さ」に育まれ上志津原は穏やかな風土の町に発展してきました。 この町に「上志津原ふれあいどおり」という遊歩道がありますが、この遊歩道はこの「大らかさ」「素朴さ」がもたらした産物でした。
4)ケーブルテレビの特集番組へ
平成19年12月、地元ケーブルテレビ局が「開拓の町上志津原」を、特集番組として1週間に亘って放送しました。
(CATV 296)

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